中之島美術館で開催中の「髙島野十郎」展へ。
久しぶりに大阪へおでかけしました。
没後50年を記念した回顧展。
髙島野十郎…まったく聞いたことのない画家でした。それでも彼の作品をSNSで一目見た瞬間、心が動かされたのです。それはたぶん、孤独の共鳴でした。

野十郎の代表作<蝋燭>。

ある日スマホにたまたま流れてきたこの絵を見て、小さな衝撃を受けました。私の思う自灯明のイメージそのものだったからです。
確認されているだけでも30点以上あるという<蠟燭>シリーズは、野十郎と親交のあった人々へのプレゼントとして描かれ、売るための絵ではなかったそうです。
展示室にはたくさんの蠟燭の絵が並んでいました。
いろんな太さ長さの蝋燭に、炎の揺らぎ具合も様々。じっと眺めていると、芯が燃焼する微かな音や、蝋が溶けていく匂いまで漂ってきそう。立ちのぼる炎を乱さないよう、息をつめてしまうほどリアルです。
私は四柱推命の十干も「丁(ひのと)」で、それは陰の火「灯火」を意味します。
福岡県久留米市の裕福な酒造家に生まれた髙島野十郎。
東京大学農学部水産学科を首席で卒業するも、独学で画業の道を選びました。画壇とは距離をおき、生涯独身を貫いたことから、「孤高の画家」と称されます。長年都心の渋谷や青山で暮らしていましたが、古希を過ぎて千葉県柏市の田園地帯へ転居。電気も水道もない小さなアトリエを建て、晴耕雨描の質素な生活を好みました。写実的でありながら、仏教思想を反映した独特の画風が特徴。生前はまったく無名の存在でしたが、没後に見いだされ、近年再評価されています。
ja.wikipedia.org
偏屈な人なのかと思いきや、親族や友人と良好な関係を保ち、近所の農民たちからも慕われていたという野十郎。物静かで心根の優しい絵描きさんだったそうです。肩書きや差別を嫌い、意に染まぬ相手からの依頼はきっぱりと断る一方、親しい人には作品を譲ってしまうこともしばしば。
財を成すことよりも、汗水たらして田畑を耕す営みを尊重していました。生前「お百姓さんに絵を譲ったり買ってもらうのがいちばん嬉しい」と語っていたとか。
カッコ良すぎませんか!
そんな野十郎のもう一つの代表作<月>。

回顧展の最後にいざなわれる暗闇を模した空間に、<蠟燭>と<月>の作品群を展示した中之島美術館のキュレーションが素晴らしかったです。一つひとつ、食い入るように鑑賞しました。
画布から滲みでる静謐と孤独。
観る者に自然と沈黙を促しながら、微かな包容力をも感じさせます。
「闇を描くために月を描いた」
夜空を煌々と照らす月。しかし余白の闇こそが主題そのものなのです。
モチーフと対峙する野十郎の集中力、透徹したまなざしが、作品から伝わってくるようです。



複数あった自画像のうち、最も印象的な一枚。

画壇と距離をおくことは、他人からの評価を必要としないことを意味します。個性を追求しすぎる芸術家(概して表現者とはそういうものですが)ばかりが脚光を浴びるこの国で、奇抜なパフォーマンスに走ることなく、作品に自らの精神性を宿らせるほど真摯に描き続けた生涯に胸打たれました。職人のような画家としての在り方に敬意を表します。

作品は福岡県立美術館がコレクションしていますが、個人所有の絵も数多く展示されていました。かつて野十郎本人から譲られた絵を手放すことなく、今も大切にされている証左だと思います。サイズの小さな<蝋燭>シリーズは、仏壇に飾っているご家庭が多いのだとか。没後50年、野十郎と親交のあった故人のご縁を、ご遺族が引き継いでいるのです。なんだか素敵ですね。
野十郎さんの人となりがあまりにも好ましく、本まで購入してしまいました。
画風が気に入っても、画家本人に興味を持つことはほとんどありませんでしたが、野十郎さんには心惹かれてしまいます。

回顧展は6月21日(日)まで。
大阪に続き、東京の松濤美術館で開催予定です。
nakka-art.jp
中之島美術館の近くに昔ながらの喫茶店を見つけました。
野十郎作品を心ゆくまで堪能した余韻に浸りながら、サンドイッチとケーキセットをもりもり食べました。昭和の雰囲気が漂う、とても居心地の良い喫茶店でした。