住めば都

地方移住したアラフィフ主婦のひとりごと

快食快眠快便がすべて

前回の続きです。

断食明けのリカバリー期間を終えてすぐ、最寄りのフィットネスクラブへ入会した私。
マシンを使った筋トレとウォーキング、スタジオでのヨガやエクササイズ…3か月ほど続けて成果が表れはじめた頃、しみじみ思ったことは、
 体育は嫌いだったけれど、体を動かすことは嫌いじゃない
 五体満足で生まれたこの体は、動かすためにできている

鈍くさいうえに人と競うことが苦手で、ずっと自分は運動音痴だと思い込んできましたが、フィットネスは誰とも比較する必要がありませんでした。
比べるべきは過去の自分だけ。
そして全身の筋肉も関節も動くための機能であって、使わなければ老化を待たず衰えていくこと、たんぱく質をはじめとした食生活における栄養バランスの重要性。

断食を機に、食品添加物サプリメントには少し慎重になりました。
添加物をすべて排除しようとすると、スーパーやコンビニで買える食品がほぼなくなってしまう(大量に生産・流通される加工品のほとんどに含まれている)ので、気に入っている商品をリピ買いすることが多いです。
健康被害が取り沙汰されるサプリメント類は、私には必要なさそうだと判断。
加工品の最たるものだし、原料や成分も判然としないし、何よりお値段高すぎません?
美味しくないものに数千円も払いたくないなぁ、だったらそのお金で新鮮な食材を旬のうちに味わいたいなぁと思う食いしん坊オバサンです。
日中テレビを観ていると青汁やサプリのCMばかりでげんなりします。

暴飲暴食をしないだけで特別な制限はしていませんが、163cm/48-49kgをキープするように食事内容には気をつけています。
ムキムキになりたい訳ではないので、ダンベルなどのハードなトレーニングもしません(できません)
この程度ではプロテインも不要、私にとっては余計な糖分・カロリーです。
基本的にいつもの食事だけで必要な栄養素を賄いたいという意思で、基礎代謝を維持するための筋トレをしています。
私が唯一摂取している健康食品は「ミロ」。もとは子供向けの商品なので、安全性はもちろん、大人にも必要な栄養素が豊富でおすすめです。
無調整豆乳で溶かせばたんぱく質も手軽に摂れて、朝ごはんと一緒に飲んだり、昼ごはんにオートミールで食べたり、味もココアみたいで美味しいですよ。
私の健康法はシンプルで、快食快眠快便、それだけ。
それを叶えるのに必要なのが、適度な運動とバランスのとれた食事でした。

アラフィフになって、運動習慣のある自分で良かった~と素直に思えます。
もちろん更年期シミシワたるみ白髪その他もろもろ劣化していますが、ただ細いだけだった若い頃より、体幹や筋肉が身についた今の自分のほうが好きだったりします。

私ね、母親から否定されてばかりの幼少期を経て、転校先でいじめられたこともあったし、ほんとうに何の取り柄もないまま大人になってしまって、ずっとずっと自分に自信がありませんでした。
そんな私が体を鍛えるようになって、不思議と心も安定しはじめ、この歳になってようやく自分のことを「悪くないじゃん」と思えるようになりました。
SNSで拝見する美人で抜群なスタイルの女性たち(峰不二子みたい!)の足元にも及ばない、人様に誇れるようなストイックさとは無縁の私ですが、体育2のへなちょこなりに努力しています。

 

 

はじまりは断食道場

用事や旅行がない限り、日課のようにフィットネスクラブへ通っている私たち。
移住先のリサーチでは、まず通いたいジムを決めてから、その近辺で家を探します。

最初にハマったのは私で、5-6年前、例によって夫のモラハラがきっかけでした。

とある外資系企業で全国トップクラスの営業成績を収めていた夫は、毎年膨大な業務とノルマを課され、帰宅後にそのストレスを私へぶつけていました。
外ではデキる社会人としてふるまい、家で妻にモラハラを繰り返す…まぁよくあるパターンです。
私も未熟だったのでつい言い争ったりして、だいたい半年に1回くらい夫から「出て行け」と怒鳴られ、その度に「そうします」と家出することが常態化していました(笑)
たいていひとり旅を楽しんでいたのですが(←鋼のメンタル)、何度目かの家出の時、以前から興味のあった断食道場に参加してみようと思いたったのです。
当時デトックスとかファスティングが流行っていた頃でした。

東京の神社が運営する施設(怪しくない)が神奈川県にあり、そこへ一週間滞在しました。
水補給だけの完全断食ではなく、朝昼晩ごく少量の健康食を摂るスタイルの道場です。
希望者のみの早朝勤行、経絡に基づく整体やツボ押し、森林浴やトレッキング、初心者向けのヨガや瞑想等々…毎日盛りだくさんなプログラムがあって、参加するもしないも個人の自由。
もう何もかもはじめての体験で、家出したことも忘れて楽しんじゃいました。
箱根の近くだったのであちこちの温泉に日帰り入浴したり、富士山のご来光を見るため寝袋を借りて深夜からクルマで出掛けたり。

ひとり参加のリピーターが多く、入退所も自由なので、毎日メンバーが入れ替わります。
憶えているだけで、
 ・かけだしの女優さん
 ・飲食店経営の大酒飲みで、年に一回アルコール抜きに来るという在日韓国人女性
 ・八百屋を畳んでマクドナルドに店舗を貸した、キックボクシングが趣味のおじさん
 ・養育する里子との関係に悩む女性
 ・より上位のヨガ資格を得るため、イギリス留学を控えたインストラクター
 ・ほぼ毎月通っているという常連の在日中国人女性

ほかにも好奇心で一泊だけした女子大生ふたり組や、ダイエット目的で訪れた県内に住むおばちゃんなど、ここへ来なければ出会うことはなかっただろう個性的な人々ばかり。
なかでも里子に悩む女性とはいちばん長く一緒に過ごしたのですが、はるばる宮崎から参加したという彼女、会話を重ねるうちに私と共通の知人がいることが発覚して、とても印象に残っています。
施設はお世辞にもキレイとは言い難く(潔癖性の人は絶対無理)、運営もアバウトな感じで、オトナの林間学校みたいな雰囲気でした。

そこで私に突きつけられたのは、圧倒的な体力不足!
野山をトレッキングしても、お寺の参道で長い石段を登るにしても、いつも私がビリなのです。年上の皆さんにもついていけない。
どちらかといえば細身体型でしたから、それまで運動する習慣がありませんでした。
もともとスポーツは嫌いで、人と競争するのも苦手、体育の成績は2だった私(笑)
細いだけじゃダメなんだ!と痛感して、帰宅した翌月からジムへ通いはじめました。
家出の弾みで参加した断食道場が、その後のライフスタイルの軸となるフィットネスへと私を導いてくれたのでした。

 

 

人生初のクルマ購入

夫の運転するクルマでフィットネスクラブへ通い、近所のスーパーで買い物をして帰宅する、という日々が一年くらい続きました。
もうこれ老後じゃんて笑うレベルで、40半ばから隠居生活をさせてくれる夫には感謝の気持ちでいっぱい、本当にありがたいと思っているのですが、

四六時中一緒にいるのしんどい

という新たな問題が発生。
同じジムに通っていても、受けたいプログラムは違います。
夫のクルマなので夫の都合に合わせることが多く、だんだん不満が蓄積していきました。
前日にケンカすると、私を乗せずに出発される嫌がらせも度々あって…。

東京や埼玉では電車の移動ばかりで、すっかりペーパードライバーになってしまった私。
四国に限らず、地方生活においてクルマは必需品です。
フィットネスクラブの会員には高齢者が多いのですが、皆さん自分でクルマを運転して通われています。
颯爽と軽トラに乗ってくるおばあちゃんまで(笑)

自分だけのクルマを買って、自由を手に入れよう。
予算と用途から軽自動車に狙いを定め、メーカー、車種、新車/中古、ひとりで検討した結果、ディーラーで新車を現金購入しました。夫にはしれっと事後報告。
予算内に収めたオプションも大満足で、先日はじめての車検を通しましたが、3年経っても飽きないお気に入りです。

独身時代に貯めていた預金はガクンと減ったものの、後悔のない、必要な出費でした。
相棒に乗るようになって、行動範囲も交友関係も、格段に広がりましたから。
私にとってのシン移住生活の幕開け、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)が急上昇しました。
どこへ行こうと、もう夫の許可は必要ありません。
運転はいまだに得意ではないけれど、ずっとゴールド免許を保っています。

 

退職した夫は主夫である

夫が早期退職するにあたって、私はひとつ条件を課していました。
それは「夫も主体的に家事をする」こと。

実家の両親や身近な年金世代を見るにつけ、ダンナが仕事を定年退職しても、今までどおり奥さんだけが家事を担い続けている夫婦ばかりで、モヤッとしていました。
私の実父は民生委員やボランティアをやりまくって、定年後も家事を回避しています。
退職しても家庭に興味のない父に、母はすっかり愛想をつかしています。

夫が働いてくれている間は、子供もいないし(義父同居の暗黒時代は割愛)、家事全般はもちろん私の役目でした。
そして夫婦ともに無職となった今。
我が家の移住スタイルを鑑みると、実態は地方に転居しただけの隠居生活なので…妻は主婦、夫も主夫なのです。

夫もこれを了承し、
 ①掃除(居室、風呂、洗面、トイレ)と洗濯
 ②買い物、料理、皿洗い
どちらか好きなほうを選んでもらった結果、夫は①を担当することに。

ならばと洗剤の分量や掃除の仕方をひととおり教え、しばらく様子を見守っていましたが…予想どおり、すさまじい抵抗に遭いました(笑)
毎日の洗濯はほぼ洗濯機がやってくれますから嫌がらない。問題は掃除です。
夫の主張で、掃除は週1回しかやらないことに。私もそれは譲歩しました。
二人とも日中はフィットネスクラブにいるし、風呂もすませてくるので、ぎりぎり許容範囲かと。
最初の一か月は「嫌々掃除してやってる」感を全開に、ガチャガチャ、ジャバジャバ、近所迷惑なほどの騒音をたてながら有言実行していた夫。
けれどそれも長くは続きませんでした。
週1回が半月に1回になり、一か月に1回になり…。

痺れを切らした私が掃除を肩代わりするのを待っていたのでしょう。
しかし!私も折れませんでした。
ここで折れたら夫への不満を抱えたまま、移住生活を過ごす羽目になってしまいます。
リビングに綿ぼこりが舞おうと、風呂やトイレに黒カビが発生しようと、スルーし続けました。
(フィットネスクラブの定休日にだけ自宅の風呂を使用するのですが、さすがに気持ち悪くて、クルマで15分ほどの系列店へ風呂だけ入りに行っていました)

弁明をはさみますと、自室の掃除はもともと自分で行っていますし、洗濯機で洗いたくない素材の衣類は自分で手洗いしています。
キッチンも清潔を保っているつもりです。シンクは排水口の中まで毎日お手入れしています。

「ろくな稼ぎもないくせに」とか、
「誰のおかげで生活できてると思ってるんだ」とか。
結婚当初から夫のモラハラに晒されてきましたが、週1回の掃除さえこなせない夫へ「主婦なんて楽ばっかしてるって罵ってきた家事のほんの一部だよ」と諭した時の彼のはっとした顔を、今でもはっきり憶えています。

移住生活がはじまって半年ほど経過した頃でしょうか。
その日を境に、毎週金曜日、夫が自発的に掃除をするようになりました。

 

 

いざ四国へ

2020年の初夏、引越当日を迎えました。
午前中に家財の搬出が終わり、退去立会いの確認を済ませて、いよいよ出発です。
ベランダからはるか遠くにそびえる富士山も、今日で見納め。
夫が運転するクルマで、松山まで900kmの道のりを、二泊三日かけて移動します。

幸いなことに、数日前から緊急事態宣言が解除されたばかりでした。
いくつもの高速道路を走りぬけ、ひたすら西へ、西へ。
普段であれば必ず渋滞する川崎や阪神あたりもガラガラで、夫も驚くほどの貸切状態。
多島美と謳われる景色に感動しながら瀬戸大橋を渡り、ついに四国へ上陸しました。

ゆったり広がる空と海。木漏れ日を揺らす風。
おとといまで住んでいた関東の閉塞感から解放されたような気分でした。
マスク生活は継続するものの、首都圏ほどの同調圧力はありません。
松山のホテルに前泊して翌日の荷受けをこなすと、四国での新生活がひっそりスタートしました。

「地方移住」と聞いてイメージされるような暮らしではないので、そこは誤解のないように。
私たち夫婦は、農業がやりたいわけでも、古民家に住みたいわけでもありません。
地方都市の住宅街にある、ごく普通の賃貸物件に住んで、スーパーで旬の食材を買う…特別なことは何ひとつない、それはもう地味~な生活です。
だがそれがいい!(笑)

二人ともすこぶる元気でしたが、無症状コロナ陽性の可能性は捨てきれないので、一か月の猶予期間を待ってから、近所のフィットネスクラブへ入会しました。

 

 

コロナ下での家探し

世界中にまん延したコロナウイルス首都圏は大混乱に陥りました。
夫は業務の引継ぎができないまま自宅待機となり、私もインストラクターのパートを辞めました。
大きなターミナル駅近くに住んでいて、駅ビル内のスーパーは異様な雰囲気に包まれ、緊張を強いられながら買い物する日々。
行き交う人々で毎日ごった返していたコンコースが閑散としている光景は、かなりの衝撃でした。
マスクやうがい薬、トイレットペーパーを買うために、開店前のドラッグストアへ並んだことも、度々ありました(ほとんど空振りでしたが)

 

まさかこんな状況下で移住先を探すことになろうとは…。

しかし退職に係る諸手続きや、マンションの退去通知も済ませた以上、ここに留まることはできません。
依頼した不動産屋からはオンライン内見を勧められましたが、賃貸とはいえ、私たち夫婦にとっては新たな門出です。
旅行で観光地を訪れたことがあるだけの、親戚も知人もいない四国。
実際に物件を見て、周辺の環境もよくよく確かめてみないことには、契約なんてできません。

不要不急ではなく重要至急の用件です。感染予防に万全を期したうえ、緊急事態宣言のさなか、ガラガラの飛行機に乗って松山へ向かいました。

 

首都圏からやってきた私たちを、現地の不動産屋は暖かく迎えてくれましたが、終始ものすごいソーシャルディスタンスをとられました(笑)
担当スタッフの営業車が先導し、不動産屋が手配したハイヤーに私たちを乗せて、ピックアップした物件の内見ツアーに同行する、という厳戒態勢です。
一件ずつ鍵と窓(換気のため)を開けてもらい、私たち二人だけで内見に入り、担当スタッフは外で待機。

私たちが使うスリッパは、一件内見するごとに使い捨て。
感染を警戒して黙りこくっていたハイヤーの運転手さんは、車窓を開け放つようこちらから提案すると、小声でおしゃべりしてくれるようになりました。

 

今となっては笑い話ですが、コロナ対策が手探り状態だったあの当時、特定警戒区域から出てきた私たちをそのように扱ったことは充分に理解できますし、こちらの要望を叶えてくださって、とても感謝しております。

迷惑料のつもりでチップを渡そうとしたけれど、運転手さんは「これが仕事だから要らないよ」と笑って受け取りませんでした。

 

 

移住のきっかけ

移住のきっかけは、夫が役職定年を機に早期退職したことでした。
2019年のある日、晩ごはんを食べながら、おもむろに「辞めてもいい?」と…。
夫が私に相談することは、すでに決定事項であることがほとんどです。
同居していた義父が介護のすえ亡くなってから一年後の出来事でした(義母は結婚前に鬼籍)

私が案外カネのかからない女だったこと
 ・結婚式しない
 ・婚約+結婚指輪いらない
 ・外車に興味なし
 ・高級ブランド必要ない
 ・持ち家より賃貸派
なども、将来的にFIREしたいという夫の目標に寄与したと言います。
近隣に住んでいる私の両親は健在ですが、弟が同居しているので問題ありません。

経済的な不安を訴える私に、職場のOHPを拝借してきた夫が、現在と今後の資産運用をグラフに示しつつ、熱のこもったプレゼンを披露(笑)

折しもいろんなメディアで移住がもてはやされていた時期でした。
家賃負担の少ない地方で、のんびり暮らそうという提案に、私も同意したのです。

 

夫も私も関東生まれの関東育ち。
移住先をリサーチしはじめてすぐ、NHKのTV番組で移住相談センターなる場所があることを知ります。
正式名称は認定NPO法人ふるさと回帰支援センター
有楽町駅前の東京交通会館に広大なオフィスを構え、全国各地の自治体と連携した移住情報を無料で提供してくれます。
フェアやセミナーに参加したり、全国から派遣されたスタッフさんとお話できて、とても参考になりました。

どの候補地も魅力的でさんざん迷いましたが、物価の安さと、気候の温暖さ、旅行した際の印象から、移住先は愛媛県に。
そして物件探しをはじめた2020年の春、あのコロナ禍に見舞われてしまったのです。